前回は、
①家族の関係性の難しさ
②受容の難しさ
③心にすり込まれた「理想の家族像」
この3つが、介護をする家族を苦しめる要因になりうることをお伝えしました。
上記の事柄はどの家族にも当てはまることですが、
その克服は簡単なものではありません。
しかし、事実として知っておくことで、
介護者の苦悩が多少なりとも軽くできるはずです。
■ まずは“ガス抜き”から
では、専門医の視点から具体的な介護のノウハウについて…
とお話を進めたいところですが、
その前に、ぜひ皆さんにやっていただきたいことがあります。
それは、ガス抜きです。
普段、患者さんとのやりとりの中で、
肉体的にも精神的にも消耗し、
イライラ、怒り、気分の落ち込みなど、
負の感情を抱えたまま介護に取り組んでいないでしょうか?
負の感情が大きくなればなるほど、
介護は苦しいものになってしまいます。
私のクリニックにやってくる家族も、
大なり小なり負の感情を抱えており、
暗く、硬い表情で、どんよりとした空気をまとっています。
診察では、悩み、怒り、もどかしさなど、
それぞれの家族が抱える負の感情を聞かせてもらい、
私からは「家族はそもそも難しい」
という話をさせてもらいます。
もちろん、
すべてのストレスを一度で解消することはできませんし、
ストレスは日々積み重なっていきます。
受診の度に少しでも肩の荷を下ろしてもらい、
受診の後には心と体が幾分軽くなっていただけるような、
そんな診察を私は目指しています。
家族の気持ちが整い、穏やかな心境になることができれば、
介護を受ける患者さんにも確実にそれは伝わります。
両者の気持ちが共に整ってくるのです。
ですから、ガス抜きはとても重要です。
ぜひ日頃から、ガス抜きを意識してみてください。
人と話をすること、音楽を聴くこと、
身体を動かすこと、お笑いの動画を見ること…など、
何でも構いません。
ただし、暴飲暴食、お金の浪費など、自分をないがしろにすることはNGです。
■ 残された時間は限られている
では次に、介護に携わる上で、
私が考える大切な心構えを2つご紹介します。
ひとつめは「残された時間を思う」です。
私は初診時に「今、望むこと」について家族にお聞きします。
すると、多くの方が「現状をできるだけ維持できれば…」
とおっしゃいます。
できるだけ?
できるだけというのはどのくらいの期間を指すのでしょうか?
5年? 10年? はたまたそれ以上でしょうか?
認知症は進行性の疾患です。
現時点の医療では残念ながら、
認知症を治すこと、改善すること、
そして、進行を完全に食い止めることは期待できません。
さらに、認知症になったということは、
「寿命が限られてきた」ことを意味します
※アルツハイマー型認知症の場合、平均余命は10年弱と言われています
「とりあえずは現状維持を」
その気持ちは痛いほど良くわかります。
「できるだけ長く、健康的で有意義な生活を」
これが、まずもって家族の一番の望みでしょう。
ただ、現状維持を望む気持ちには、
家族が新たな問題に直面することを
「単に先延ばしにしたい」
「そのうちちゃんとするから、今はちょっと猶予がほしい」
という思いが隠れているのではないでしょうか?
決して、すべてを投げ打って介護に向き合え!
などと申し上げるつもりはありません。
患者さんとの残された時間は限られている
ということを意識した上で、
自分たち家族の過去・現在・そして、
患者さんをお見送りするまでの未来を俯瞰して見ることができれば、
介護に新しい意味がもたらされるのではないかと思うのです。
■ 「患者さんに期待しない」を念頭に
もうひとつの心構えは「患者さんに期待しない」ことです。
患者さんの能力の低下を見極め、受け入れる。
患者さんとの軋轢が生じないような対応の仕方を考えていく。
そのためには「期待しない」ことが重要になります。
とりわけ、
「学習すること」と「主体的に行動すること」の2つは、
患者さんに期待してはいけない代表格です。
まずは、「学習すること」に期待しない について説明します。
「忘れるなら、メモを取ればいい」。
家族の多くは、それで事足りると思っているかもしれません。
しかし、メモを取るという行為は、
認知症の患者さんにとっては「新しい試み」となります。
「新しい試み」の遂行は学習に他なりません。
記憶に障害のある患者さんにとって、
それはとても難しいことなのです。
何度言って聞かせても、メモを取ることを忘れますし、
仮にメモを取ることができたとしても、
メモを見返すことを忘れてしまいます。
そして、挙げ句の果てにメモをどこかになくしてしまいます。
認知症のリハビリテーション(進行予防の取り組み)
の考え方の基本は、
「衰えてしまった能力に対して負荷をかけるな」です。
これは、一度衰えてしまった能力は、
どうやっても鍛え直すことはできないことを意味します。
できないものをやれと言われれば、誰だってつらくなりますよね。
認知症の患者さんも一緒です。
ですから、「学習すること」に期待をしてはいけないのです。
もっと言えば、
患者さんは学習することができない、ということを
家族が学習する必要があるのです。
■「主体的に行動すること」にも期待しない
「主体的に行動すること」も患者さんに期待してはいけない
ことの1つです。
多くの家族は患者さんに対し、
「認知機能が低下してきたことを自覚し、
予防につながるような行動を」と願っています。
家族にしてみれば、認知機能の低下によって
日常生活に支障をきたしていることは明らかなのですが、
それを本人が自覚できないことが信じられません。
「周りに迷惑をかけたくない」が口癖だった患者さんに対して、
「今こそ、ぼけないように頑張ってほしい」と願うことは、全くもって当然のことです。
しかし、そんな家族の願いも空しく、
認知症の患者さんは、ソファに座って、ぼんやりとテレビを眺め、
気付けばうたた寝をしています。
声をかけても生返事で、
下手をすると、1日中、同じ場所から動かない日もあります。
家族は大いに嘆きますが、これが現実です。
認知症の患者さんは残念ながら頑張れないのです。
主体的に行動すること、つまり、前向きな行動をするためには、
将来をイメージする力が必要となります。
「イメージする」とは、
自分の中に蓄積されたもろもろのコンテンツ(主に視覚的な要素)を想起し、
それを頭の中で組み立てることです。
記憶が衰えてしまった患者さんにとって、
将来の自分(認知症進行予防のために主体的に行動する自分)を「イメージする」ことは困難ですし、
イメージできなければ、行動を起こすことはできません。
さらに、認知機能が低下してくれば、
これまでできたことができなくなりますし、
例えできたとしても、これまで以上に努力を要するようになり、
時間がかかるようになります。
家族だけでなく、患者さん本人もいらだちを感じますし、
自信を失い、そして、やる気も失います。
そのように気分がへこんだ患者さんに対して、
家族が良かれと思って忠告などしても、
なかなか前向きな気持ちを引き出すことができないのです。
そして、時にはその忠告に反発を感じ、感情的になってしまうこともあります。
「動いてほしい」と願う家族と、「動けない」患者さん。
家族が干渉を強めれば強めるほど、
両者の溝はますます深まるばかりです。
ぜひ、「学習すること」と
「主体的に行動すること」に期待せず(そして、なぜ期待してはいけないのかを理解して)、
日々の介護に向き合っていただけたらと思います。
私は、介護に取り組むに当たって、
気持ちと頭を整えることはとても大切だと考えています。
今回お伝えした
「ガスを抜くこと」
「残された時間を思うこと」
「患者さんに期待しないこと」について、
折に触れて思い出してもらえればと思います。
自分自身を壊さぬように。
患者さんとの残された時間を悔いなく過ごすために。
たまゆらメモリークリニック 小粥正博